自分にとっての不動産投資

0を1にする作業が一つ

そっから1を100でも1万でも1億でもってやっていく作業が一つ

0を1には、収入が安定して家族を養っていけるくらいの生活をしていくためのもの

もう一人子どもがほしいなあと思った時に、できてもいいかなっていう余裕。

サラリーマンをクビになっても、病んでしまっても生活していけるだけのもの。

ざくっと10億円投資して、キャッシュフローが出ているイメージでしょうか。

キャッシュフローの半分で飯食って、半分は返済や買い替えに当てていく。

1の次はどこまでも、それが目的だから

100億やっても1000億やっても、金額が重要ではないところに入っていく。

考え方では1兆やっても足りないのです。

詳しくはまた折にふれるとして、不動産の開放、環境の公共化、コミュニティ再生のようなものが

自分の命題なので、それがいくらの額でできるのかって話ではないのです。

そこの価値を生み出すのにじゃあいくらってもんでなじゃないですか。

Skypeが無料でサービスを提供し始めて、それって本当は飛行機の移動代の何割かはお金出したっていい

サービスだったのかもしれない。でもSkypeは公共のものとしてお金取らなかった。

※取れなかったのかもだけど。

でも飛行機や高速鉄道で高いお金かけて移動する必要が亡くなった事実。

ここまで行って価値の変化。不動産の世界でそれを起こしたい。

そのために10億の投資をいろいろなスタートアップにするのか、または自分で立ち上げるのか

でできるか、1兆を将来ドカント投資することで成し遂げられるのかってわからないでしょ。

だから結局私は投資でアーリーリタイアしたい人たちとは根本的に違っていて、

ロバートキヨサキさんのお金を増やしていく発想は、ああ、資本主義ってそういうもんなんだ

って感心しましたが。ラットレースのくだりやアーリーリタイア的なことにはあまり興味ないです。

メガ大家になってアーリリタイアして、なんかのスポーツや世界一周とか自分の好きなことする

ってとこに共感しないというか、単純にあまり興味がない。

「不動産の次は不動産でいいじゃない」ってどっかの破産しかかった会社が言ったようなキーワードではないんです。

不動産によって育ててもらったなら、不動産によって恩返しをするだけなのです。

もしこの不動産投資が成功していったなら、その時にきっと人生から問われることなのです。

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