足りた

私の人生は3◯歳にして生活面では全てそろった。

その年になる前後で2人目ができて(娘に兄弟ができた。もう娘は一人っ子でない)

郊外の持ち家を持って(古いいいかたの住宅すごろくの上がり)持ち家はまさにバブルの遺産ですがw

妻が常図ね欲しがっていたワンちゃんを飼い始めて。

これからも子どもの教育や妻の仕事など私が協力していくことはあるけど、

一通りのやりたいこと、欲しいものそれぞ実現するだけのハードはそろったわけで。

もうこれ以上生活レベルで求めるものはないわけです。

でも人生という意味では、自分の遊び、仕事、社会との関わりという部分もあるわけで、

この中でサラリーマンはどうしても続けられない(づづけたくても続けれない)ということが

この歳になってわかったのです。生まれる時代が違えば続けられたのでしょうけれど。

サラリーマンの桜木花道をどこかで求めていた私としては少し寂しい気持ちもありますが。

それはしょうがない。

やってみてきて、気づいたことなのだからいいではないか。

そうするとこの後は生活レベルは上げずに、削れるところは削っていって。

※教育費とかは上がっていくので、減らすことは難しいにせよ。変に増やさない。

でサラリーマン以外でこの生活を維持できるものをつくって。

それができた後は、リミットはもうないわけです。

社会のために自分ができる遊びと仕事を無限にやっていく。

自分の命がある限り。

お、なんか人生ってけっこういい感じじゃない?

でもサラリーマンがずっとできないことだけは新卒の時以来の想定外だったわ。

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