自分てなんなんだろう

って考えた時に、

この人の子どもだとか、この子の親だって思えることは

案外大きい部分なんではないか。

人はけっきょくつながりの中で生きている。

遺伝子的なつながりというのではなくて、人間のDNAがそうさせる、つながりを求めるのだ。

だからこの人、たちの役に立っていると思えるのも、

自分を定義することや生きていくためには必要で、それがあれば十分なんだろう。

結局自分のためと思って何かをやり続けたり、お金をたくさん儲けても、

自分てなんなんだろうって、問いが出てきてしまうんでないか。

そんなもんにも答えられないんだったら、ただの金儲けとか、自己実現ってなんの意味もない。

人の為という偽り、自分の為が含まれた見返りを求めての何かをしても、

結局自分がなんなのかはどんどん遠のいていってしまうのだろう。

全体の一部になったとき、誰かとつながる、誰かの役に立つことができた時、

私は私になるのではないだろうか。

それがきっと猿から発してホモ族として旅を続けてきた中で織り込まれてきているんだろう。

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