地方築古の賃貸経営の終焉

まだ先ですよ!

でもね、結論を言うと、日本の製造業の終焉と共に続けるのが困難になる

が私の予想です。予想は外れるけどね。でも自分の頭で考えてみることは必要なんで備忘しておきます。

理由1:地方にいる海外労働者が減っていく

もう日本なんて国で働いてられっかって話にだんだんなっていく話です。

海外の日本で働いてくれている人たちは、日本の工場で働く労働者がかなりの割合なわけですけど。

食品加工系、クリーニング工場なども人口減で徐々に減っていく。

製造系がいよいよ消えていく。

大手メーカーが半分くらいを除いてもう持たなくなっていくのは目に見えていますが、

日本に工場を構える大手でないメーカーも大手のエコシステムの中で活動しています。

あと今も製造拠点が海外のメーカー多いですが、結局日本で製造工程を維持することの

メリットを供給できるだけの製造現場としてのマスが日本に

理由2:

地方にある製造拠点の数が少なくなる=日本人の労働者も減る

夜の仕事などをしている海外の方たちへの需要も自然と減って行く。

理由:3

海外の賃金が相対的に日本に近くなる。これはもう当たり前の流れなんで言及しません。

理由4

まだまだ例のアパートメーカーの攻勢は止まず、地主さんの土地でどんどんアパート建てて、

さらに20年くらい経った物件を壊して、またどんどん建てって

(建物って100年持つこともあるのに20年ってもう環境破壊のレベルですよね)

をまだまだやっていくので、そうした新しい物件との競争は引き続き続く。

地主さんは土地をお持ちなので20年や30年でメーカーの言うことをハイハイと聞いて

これからもどんどんメーカーに言われた通り建物を建てていくことができます。

別に地主さん的に自分たちが食うに困る生活をしいられなければ、

美味しい汁をメーカーにガッツリ吸われても、まあメーカーさんの必要経費だよねって感じになると思いますし。

別にメーカーがどれだけ利益を取ったからと言っても自分たちが困らなければ、

地主さんとしてはどこが問題でしょうか。

ヤバイ

バイオテクノロジーが進んで

裸出歯鼠の特徴を持たせた人間ができたら、これは人間2.0になる可能性がある。

けっきょく私のブログはホモ・サピエンス(人間)の特性、

またそれを人間レベルから見て勝手に論って笑っているだけのくだらないブログなわけだが、

そうやって人間をあれこれ考えていくと、真性社会を持った、全く毛のない、すごい出っ歯の人間たちの社会は

とんでもなく強力かもしれない。。。

投資の世界では半ば神本の「金持ち父さん、早く引退」をディスってみる

あの馬に乗ってる絵はぜんぜんうらやましくない。(ただこの世界の完璧さに涙したとこは分かる気がする)

ラットレースは問題だと思うが、ラットレースを降りることが回答というのはなんか変なきがする。

賃金労働(=賃金を目的とした労働)の価値が問題なのであって、

人を助くために労働することは社会の根幹というか、ホモ・サピエンス社会の成り立ちそのものである。

私はサラリーマンをいくばくか続けたい、自分の中でいつまでというのは代替もっている。

なぜ?

あんな「この豚野郎」と誰かのことを思っても、とてもじゃないけど、そうは言えない環境。

サラリーマンである限り誰かのことを豚野郎とか馬野郎とかって、思ってることは言えないだろうけど。

だからこそそこがミソなのだ。

そんな鬱屈した環境ではあるが、だからこそ政治があって、人間社会の縮図がある。

力を使って、力がおよぶ人に対して、言ってしまえば悪いことだってできる。

私はそれをしたくないが、現に会社の中の人たちは日常茶飯事に行なっている。

まあどうでもいいのだ、人のことなんて、かなりの数のホモ・サピエンスにとって自分がより有利に生き残るためには。

そうロバートキヨサキはラットレースと言って、この神本を礼拝している人たちも

そんなラットレースに生きている意味はないと思ってるのかもしれない。

でも、これが事実なのだ、人間はラットレースをする。

ラットレースの中で、そこそこ食べるものがあって運動できて、生きていければ、

なんか大変なのに自分で考えて、行動して失敗しながら学ぶよりよっぽど楽。

その中で、一部のラットを蹴落として(コ・ロ・シ・テ)、生きながらえていくものなのだ。

どうしても綺麗事ですまない。社会を形成している以上。

イジメが問題だとして、社会にとっては生存のための一定の必要悪である部分がある。

必要なのはイジメがあっても、別の集団に移れるだけの、場や環境の許容性があればいいのだ、

一つのカゴでラットレースしなくても、誰かが前から足蹴、後ろから噛み付かれたら、

カゴから降りて、別のカゴに移れば。異動先が同じラットレースだとしても、

カゴの形状、飼い主、参加者、そもそもの参加人数ががらっと変わることだってあるし、

もっと言えば行われているものがラットレースとは全くことなるルールのものだってある。

ならそれで生きていける。

まあとにかく、人間の因果としてサラリーマンは一つのありようなのだ。

それ以外の環境もいくらでもあるが、このくだらない人間を学ぶよい教材だから、

私はある程度雇用者を続けることには意味があるとみなしている。

投資についての私の失敗談は

動かなかったこと、にしよう

でもこれにつきる。

動いて、学んで、また動いての繰り返し、

それを継続して、5年10年できるかだけの差なのである。

安泰した環境で焦る必要もなく、ぬくぬくとしていては

いつまでたっても道を進んでいくことはできない。

ぬくぬくしていた時間が長ければ長いほど、

外の世界の様子やどうやって道を歩いていくか自分で考える力が弱っていく。

もちろん鍛え直すこともできるが、あまりに遅いと詰んでしまう。

どうしても人間なれた環境に長くいること+年齢が進むと

ますます考えることをやめてしまうから。考えて新しいことをするのが

どうしても億劫なのだ。私の両親はとうに年金暮らしをしているが、周囲の50歳以上、

いわんや70、80歳にもなってくれば、もう変えることそのものが相当シンドイ。

アンチエイジングが進めばその年齢も伸びるかもしれないが、

当面永遠ということにはならない。

結局チャンスがあったり、いくらでもそこに気がつけても、行動を起こさず、

またその行動から学ぶこともしてこなかった私の10年程度というのは、

その10年を歩んだであろう人の10年から遅れをとっていて、

これは資産がたとえ一時的にその人の倍になったからといって

巻き返せるものでもない。結局お金の多寡ではないのだ。

人生をどう進めていくかの中に、投資や事業、人間力のような要素があって

そこについてチャレンジしたかどうかの時間はどうひっくり返ってももう戻って来ないのだ。

これが私の最大の失敗です。

投資界隈の人たちの言葉

昔も今も、

昔証券会社の美人の窓口担当の人が説明の時に

言い方はアレですけどって一言断ってから、「いくら突っ込むのか」って言いますた。

どう見ても中の上以上の見た目のかわわいい23、4歳の子がそんなこというんですから、

変なこと想像しちゃいます。

不動産もまあ似たような言葉遣いですが、金儲け周りのことってどうしても似たようになるのかな。

イケダハヤトさんの逆を行こう

ネットで自分をオープンにしている人の中で、あって実際話をしてみると

考えていることはネットで言ってることの筋としては同じでも、

発言の強さやその人の態度、うちに秘めてるその軸の強さみたいなもんは

ネットで表現されている強度の半分〜1/3くらいって感じることがちょいちょいあることに気がつきました。

※もちろんその倍以上の方たちもいらっしゃいましたがw

自分の後者の方で行きたいものです。ネットでもけっこうなこと言ったりするんだけど、

実際会ってみたらその5倍くらいやばいことが出てくる人。

実際あってみたらその半分も出てこない人よりはそっちの方がかっこいいし、

ネットで無用に炎上する必要は感じないし。

炎上するくらいの話って別に対面で会って話して、

本気をぶつけ合っていい相手とすればいいじゃんて思います。

炎上をマーケティングで使っている人たちもいますし、私はそういうところから一線を引いた形でやっていけたらなあ。

ふんどし王子に賛成

豚の馬車の人たちには自殺とかしてほしくないと思うけど、

楽して稼ごうとか、資産形成しようと思っていた部分はあったんじゃないかと思う。

それはやっぱりカモられたり失敗したりするわけで、

もっと言わせてもらうと自分たちが楽するために業界の健全性を汚したわけでもある。

ふんどしさんが言っているように

しかし、大家になって悠々自適かと思ったら、確定申告、空室対策、物件検索、修繕、クレーム対応、自然災害の対応、事業計画に、金融機関の開拓など色々な作業が待っています。

これら「 作業 」の積み重ねが「 不動産投資家 」なのです。世の中には、不動産投資家に「 なりたい 」と思っていても、不動産投資家としての作業が煩わしいと思う方もいらっしゃるかもしれません。

楽して儲けるイメージで参入するのでなく、「 覚悟 」を持ってチャレンジすれば良い結果がついてくると思います。

の通りだと思います。ここの引用は大家さんになる人一般に対してのふんどしさんの見解ですが。

それができない、嫌というのはそもそも楽して稼ごうって発送が心のどっかにあるからです。

業者任せの儲けのスキームに乗っかって、金儲けしようっていう。

業者もうんちくん(く◯)ですが、結局自分たちの儲けのためにひどい物件を地域に供給した上に

(兎小屋?)、どっかの銀行も半分同罪としても、健全にやってる同行の支店や他の銀行の融資も一層やりづらくして(貸し渋りに加担)、

シェアハウスの評判まで落としかねないことして、

(ちゃんとシェアハウスしている人たちに悪かったって思ってる?もし事件のようなことにならなかったとしても

あなたたちの供給したものってシェアハウスの印象を悪くするかもしれない建物だって自覚あるかな?)

を自分の利益のためにやろうとしたことについてどう思ってるんだろう、被害者の人たちは。。。

結局そういった良心のレベルの問題が残る限りまた事件は起こるし(楽して儲けようって考えの人とそれを利用しようって人たちのコンボ)

こんなことが起こるような原因になったものをなんかしら外に求めて、

絆創膏みたいな対処をするように社会に要求して。。。

なんなんだろ。結局その後に残った第3者であるコミュニティや社会、地域&環境はヤラレっぱなしの焼け野原だよ。

もっと昔から人間の本質なんて変わってないのだけど、バブルの時からの発想と何も変わってない。

楽して儲けたいから、もうけとこって。そんで不要な建物バンバン建てて、コミュニティ置き去りで。

自分たちに多少の資本力があるからって、結局同じことしちゃってるじゃん、豚かぼちゃの被害者の人たちも。

もうなくなってほしいよこういうの。。。

アパートメーカーは結局ダメ

レオさん、大きい東さん、東が建ってるさんのスキームも

結局お金の計算だけ。

しのちゃんがちょっと違ったスキームを出してきているけれど、

地主→高属性サラリーマンや士業の人が対象に変わっただけで

やってることは前の3つと変わらない。

どうしてその環境やその土地、住む人、コミュニティをよくしていくものを

どんなソフトが生まれるかを考えたハードをつくっていくことができないのか。

それはひとえに売る側も買う側も自分たちの利益だけ考えているから

10年くらいでで利益が上がればそれでOK。売る側はもっと短い。

長期的に良い環境を協力して醸造していく方が圧倒的に長期目線では

3方良しの考えで、結局利益の総和は大きくなるはずなのに。

自分たちの取り分が大きくなるようにってことだけを考えてる。

お互い取り分の比率が、売り手10:買い手1:居住者-1:地域-10〜0みたいな感じ。

不動産の仲介も規模の大きいもの以外はゼロになればいいし、賃料も究極ゼロになればいいのにって思う。

自分がいつかそうしてやろうとも思う。

って考えたけど、自分はそんな器ではないかもしれないので、後身にパスできるところまでをやろう。

うん、これがいい。時間もかかるし。

子育て子育てというかけ声の違和感

子育てをするなんて地域と社会とみんなでやっていくのが当たり前のはずなのに

なんでこんなに誇張しないといけないのだろうか。

それだけ今の日本の社会が老人賞賛、大人第1主義なのだろうか。

いちいち騒ぎ立てないといけないくらい。

霊長類の年長者は子育てに協力的とどこかで聞いた。

人間はどっかで社会システムにおんぶにだっこで、

自分も社会の一部なんだから、自分以外の他者を助けるという意識が

どっかに行ってしまったのではないか。