武井壮に思う、山本耕史に思う

武井荘がストイックでも、女性に期待させてお金を使わせてしまった過去があるなら

脇の甘さがどこかにあったのかもしれない。彼の才能努力完璧なら他も完璧ということではない。

どんなに自分のことが実現できていていも、情報が発信されていても、真実は自分の中にある。

別に努力が実って有名になってお金持ちになること、世間に影響力を与えられることが

人生の価値を左右するわけではない。

無名でも、金持ちでなくとも、正しく生きようとしていくことでも十分人生は表現できる

山本耕史は正直羨ましいが、彼とてほぼ偶然だったのだろう

でもここでも堀北真希の文脈でラッキー、羨ましいという言葉が出てきてしまうが

本質はそうではない。山本耕史自身に幸せになる意思があったから

たまたまタイミング的にそうなったのだろう。

彼に幸せになる意思がある限り、別の形でも幸せになりえた。

それは一時的なことではなく、常に生活の中で問われていることだ。

目に見える美しく若くて家庭的な内助の功を買ってでる妻を娶ったということに関心が行きがちだが、

そこではないのだろう。

幸せになる意思があるなら、困難とも向き合って幸せになれるからだ。

美しく若くて家庭的な内助の功を買ってでる妻と結婚できなければ幸せになれないというのは

人生から何か幸せにしてもらえるものを得る発想だ。

そんな理想の人生を獲得することが目的の人生はなんなのだろうか。

またそう考えてるがゆえにそんな人と巡り会えないのだろうし。

そうでなかったのなら幸せに慣れない、他の幸運な誰かより不幸せだ、

という話なのだろうか。どうだろう。幸せはやっぱり自分の中で作り上げて、

またそれを人とシェアしていくことだろう。人間社会では。

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