おなら

道を歩いてて誰もいないからこっそり

でも、気がついたら後ろに人が

な経験

みなさんありません

物議さん

幸せ度なんて数値にしないで下さい

なんでも数値にしたがる職場の悪いとこ

私の友達

どっからどう見てもネオナチにしか見えないスキンヘッドなのに

なにいうとんねん!おれは共産主義者や!

とか言う

私もある程度共産主義擁護派なので、そんな間違われやすい見た目しないでくださいって言いたいけど

本当のところ

私たちはチンパンジーではないけれど、チンパンジーみたいなもんです

チンパンジーたちが考えてることなんてあんまり気にしなくて良いでしょう

たしかにホモ・サピエンス社会に生きているので、社会の中での協力や奉仕は求めら、与えて当然ですが

チンパンジー同士のマウンティングやパートナー探しにくそまじめに付き合う必要は本当にあるのか

そのために叱ったり、褒めそやしたり、利害関係を結んだり

いくつの方法で接してくるわけですけど、

どうせ猿のやることなんだからそんなムキにならずに生きていった方がよくないですか

そう思ってしまった今日このごろです

母に感謝すること

障害がもしあっても産もうと決めてくれたこと(父もね)

そんだけで十分です

他にも感謝した方がいい?

いいじゃないこれだけでも

他にも感謝しろよと

それについてはおばあちゃんに感謝します

こんな不出来な母に指針を与え、基礎体力をつくってあげたこと

だから私もいるわけです

「飲む、打つ、買う」にだらしない男はダメがおばあちゃんから母がもらった言葉の中でもっとも印象に残っています

「酒癖が悪い=アル中、ギャンブル狂い、セックスにルーズ」な男はパートナーにすると

確かにやべえです。ええパトロンならいいですが。パートナーにはダメです

周りがうんちでも

腐らずに自分の仕事をきっちりやっていくこと

「嫌われる勇気」にもあるけど、

他者からの評価に一喜一憂した仕事をするんじゃなくて

本当に自分が役に立つと思えることを納得いくやり方で続けていけばいい

周りが状況、環境によってガヤガヤ言おうとも、

結局状況が変わってしまえば、去年いっていたことが今年は180変わってしまうのだから

この記事を読んでそう思いました。

http://toyokeizai.net/articles/-/207001?page=4

一つの事実

人間は猿です

チンパンジーとニホンザルをひっくるめて猿というなら

人間を100としたら、チンパンジーが人間との近さ90くらいで、ニホンザルが20くらいなもんでしょう

犬とか豚が10くらい?かな生物学者じゃないんでわからんけど

人を殺してはいけないか

猿たちと同程度に人間には判断できないことだ

大昔の上司が女性をれいぷしても OKといっていた

彼は人間で、日本人で、少なくとも太平洋戦争の後生まれ

当時の彼に「人を殺してもいいかと」と聞けば

「そりゃだめだろう」と返事が来たでしょうけど

「女性をレイプしてもいいか」と聞けば

「まあそういうこともあるだろう(男性が無理やり女性とセックスにおよぶこともあり)」と答えるだろう

第二次世界大戦中のドイツやポーランドでユダヤ人を殺してはいけないかと聞けば

「ユダヤ人でしょ。いいんじゃないの?」という人がある程度はいたはず

ホモ・サピエンスが何を生かして何を殺すかなんてことを考えるのは

チンパンジーがどの個体は殺して、どの個体は残してやるかって考えているのと

まったく同じレベル

追記:これって…

http://blogos.com/article/54508/

怖すぎること言う人だったの?

法律が人を殺してもOKってなったら、殺してもいいんだ

逆に法律が禁じていなければ、人を不幸にすることをやっても特には問題ないと

そんなの個々の良心でしか最期のよろどころはないでしょう

昔会社の中でもコンプライアンス的な誓約書に印を押すとき、

法律に反していても会社の方針に従うと取れる文言があったので、

それには従わない旨を注記して提出したが

上の人から、おかしなこと言うな!会社が支持したことに従わなかったたらダメだろ的なことを言われた記憶がある

そう、そうなんですよ

法律も、会社のルールもある組織内での決まりごとは必要なんですが

それが一歩外を出たときとんでもない摩擦を起こすものなら

うまく運用するところを見つけようとするのが社会だし、サピエンス(賢)たちの頑張りどころじゃないですか

これもできないんだったら毛むくじゃらのチンパンジーの方がましだ