男性が嫌い

私は概して男性が嫌いです。男の友達ももちろん信頼できますが、

男性という大きくくくった場合、概して嫌いです。

また男性社会に腰巾着のようにくっついて生きていくことで利益を得ている女性も嫌いです。

男たちをうまく利用しているくらいの女性の方がまだ気持ちがいいです。

自立している女性が好きなのです。

私は女性が好きです。たしかに。

多くの男性がどうしてもパワーを使うことがどうしても慣れないのです。

女性を性的対象としてだけ扱うことや、性的役割を押し付ける男たち。

事件や被害、表に出なくても家庭の中でもあるわけで。

私も男性なので、男と女という2軸で話をすれば、男性を若干擁護するのですが、

それでも男性は嫌いです。

女性が性的なことを言ってはいけない風潮もようは男性側の圧力が強かったりなんです。

男女の性差、生きものとしての。はあることなので、完全に同じになることはできないですが、

少なくとも男性から要求されている女性という立場での役割付は

もっと力関係がフラットになればいいと思ってます。

その方が変な意味での鬼嫁も逆に減るかもしれないと思ったり。

男性が支配的なので、それに影響を受ける女性側も支配的な傾向になる。

逆説的ですが、片方が支配的だと、もう片方も立場がひっくり返ると支配的になるのではないかと。

お互いに力がイーブンなんだから、変に互いを支配したり、される関係ではなくなればいいなと。

とにかく男性社会の力でなんとかする発想が超嫌いなんです。

あっ、でも猿なんだからしょうがないかw私たちは。

ともかく

自分の立ち位地、姿勢をはっきりさせて話をすること。ポジショントークではなく。心情のとこ。

やっぱり大切です。そうしないと何をメッセージとしているのかわからなくなってしまうから。

自分てなんなんだろう

って考えた時に、

この人の子どもだとか、この子の親だって思えることは

案外大きい部分なんではないか。

人はけっきょくつながりの中で生きている。

遺伝子的なつながりというのではなくて、人間のDNAがそうさせる、つながりを求めるのだ。

だからこの人、たちの役に立っていると思えるのも、

自分を定義することや生きていくためには必要で、それがあれば十分なんだろう。

結局自分のためと思って何かをやり続けたり、お金をたくさん儲けても、

自分てなんなんだろうって、問いが出てきてしまうんでないか。

そんなもんにも答えられないんだったら、ただの金儲けとか、自己実現ってなんの意味もない。

人の為という偽り、自分の為が含まれた見返りを求めての何かをしても、

結局自分がなんなのかはどんどん遠のいていってしまうのだろう。

全体の一部になったとき、誰かとつながる、誰かの役に立つことができた時、

私は私になるのではないだろうか。

それがきっと猿から発してホモ族として旅を続けてきた中で織り込まれてきているんだろう。

これは貧困ビジネスだろうか?

発展途上国で成績優秀なのに高等教育に進めない子どもに奨学金提供して、先進国の優秀な教育機関で学んでもらう。その斡旋の一切を1企業でまかない、あわよくばその優秀な若い人材にその企業で働いてもらう。こんなことできたら20年後には優秀な人材の獲得で困ることはない。まあ20年後に向けて投資する気持ちがあればだけど。

足りた

私の人生は3◯歳にして生活面では全てそろった。

その年になる前後で2人目ができて(娘に兄弟ができた。もう娘は一人っ子でない)

郊外の持ち家を持って(古いいいかたの住宅すごろくの上がり)持ち家はまさにバブルの遺産ですがw

妻が常図ね欲しがっていたワンちゃんを飼い始めて。

これからも子どもの教育や妻の仕事など私が協力していくことはあるけど、

一通りのやりたいこと、欲しいものそれぞ実現するだけのハードはそろったわけで。

もうこれ以上生活レベルで求めるものはないわけです。

でも人生という意味では、自分の遊び、仕事、社会との関わりという部分もあるわけで、

この中でサラリーマンはどうしても続けられない(づづけたくても続けれない)ということが

この歳になってわかったのです。生まれる時代が違えば続けられたのでしょうけれど。

サラリーマンの桜木花道をどこかで求めていた私としては少し寂しい気持ちもありますが。

それはしょうがない。

やってみてきて、気づいたことなのだからいいではないか。

そうするとこの後は生活レベルは上げずに、削れるところは削っていって。

※教育費とかは上がっていくので、減らすことは難しいにせよ。変に増やさない。

でサラリーマン以外でこの生活を維持できるものをつくって。

それができた後は、リミットはもうないわけです。

社会のために自分ができる遊びと仕事を無限にやっていく。

自分の命がある限り。

お、なんか人生ってけっこういい感じじゃない?

でもサラリーマンがずっとできないことだけは新卒の時以来の想定外だったわ。

おしむらくはすべての子どもの父親になりたい

人それぞれ自由になったらやってみたいこととかあると思うけど、

私は父親道である。

別にスポーツも贅沢もあんまりほしくなくて。

きっと子どもが5人くらいいればその子たちがどう道を進んでいくかを

見守ることが何よりの楽しみになるだろう。

2〜3人に対して自分の人生のすべてがそこに注ぎ込まれるような

関わり方だと、過保護だろうし子どもたちにも負担だろう。

自由になる余裕があるなら、もう少し子どもを育てたい。

 

※元来人間は猿社会とほとんど同じなのだから、

集団でいろいろな親がいろいろな個性の子どもたちに、いろいろな関わり方をしていくこと

できないのだろうか。スエーデンのような仕組みはできないのだろうか。

私の父親なんかも1対1の父親としてはきっと向いていなかったように思う。

でも子煩悩なところはあるので、そういったところでは、

地域や親戚の子どもたちの面倒をちょっと見てあげるようなことはできたはず。

マンツーマンでじっくり一人と関わるのはちょっと苦手だったはずだ。

良い悪いは別として。

ど変態な物件

極東船長の言うようにど変態な物件を私もつくりたい。

というかそもそも人の住む場所なんてそういった面白みや。多様性がないとつまんないでしょ。

戦後から続いた人口増加の中で、LDKやワンルームの概念が出てきたけれど、

もう人口現象社会に5年以内に転じて、10年20年のスパンではどんどん人口が

減っていくなら。自然と画一化された間取りで人々が暮らすことも減ってくるだろう。

そうした時に賃貸経営も潮目になっていくるんではないか。

私の場合の仕事、転職、フリーランスの立ち位置

世間の人たちがあまりにも、転職・フリーランスとしてのポジショントークか

逆にそれをしないことのポジショントークをする人が多いので、私の立ち位置を書き留めます。

Answer: 仕事を変えるのも変えないのも両方OKです

なんか言ってて当たり前過ぎなので、自分でも言ってみて「おれバカか」と思いましたけど、

そこを深く掘っていくのが話をする意味になるのではねーかと。

理由:転職・フリーランスで花開くひともいれば、1つ2つの会社を勤め上げて花を咲かせる人もいる

やべえ、これも当たり前過ぎてて、やっぱ私バカですね。認めます。。。

◯転職

転職をしてキャリアアップをしていくことを視野に入れている人は

できれば32歳くらいまでに1回は転職をしておくことをお勧めします。

32歳までなら転職に失敗しても、次の転職で巻き返しが効きますし、

当初失敗と思われた転職自体を様子を見ながら、

同じ会社で成功なところまで持っていく時間も残されています。

これが35歳を過ぎ、40歳に入ってからの1度目の転職だとリスクがうなぎ登りなります。

◯フリーランス

フリーで出来る力があるなあと思える人はOKかと。

条件として、継続的に生活が困らないだけの収入を発生させるアテがある人です。

自分の勝手な見込みではだめで、売り上げを上げられる顧客や技能がはっきりしているケースですね。

私も一度ここのことは全く考えずに見切り発車で失敗したことがあります。

フリーランスになることが目的だったわけではないのですが、収入(生活)が続きませんでした。

◯勤め上げ

これはもう言わなくてもいいかもですが、社内のキャリアで浮き沈み、パワハラ・セクハラ上司にあったりがあっても

会社自体がある程度しっかりしていて、思うように出世できなくてもリストラの可能性が長期に渡って低かったり、

変なことされるや、どうしても今の部署の仕事を続けたくない場合でも、

会社や上司、上司の上司に掛け合うと融通が聞く会社である場合です。

上に書いた転職・フリーランスはそれをするべきであったり、できる人はやればいいのですが、

やっぱり万人に当てはまるわけではないので(これからの世の中ではより求められてくるかもしれませんが)

世間の風に流されて無理やりやる必要はないと思います。まあ逆もまた然りですが。

自分に独自の感性や胆力がある人とひょんなところで出世したりして社内の安定的なポジションに入れることもあります。

自分で考えてもそんな会社に貢献してないな、代わりはいくらでもいるな、というか若い人間に自分の仕事渡した方が

きっと会社の為になるよねって人は、極限までいい条件の会社にいさせてもらって(だいたい40歳くらいまで)、

その間に会社からもうお荷物ですって言われたり、もうこの事業はやってけないんだ、んで君を雇い続けることもできないんだ、

言われるまでの間に何とか放り出されても生きていける方法を模索しておけばよいのです。

いい転職先でなくても、最低限働けるとか。フリーランス1本で食っていくでなくても、副収入にできる何かを持っている。

またここ重要ですが、最初からリストラや会社が傾くリスクを加味しておいて、生活レベルを変に現在の年収レベルに合わせて上げない。

住宅費、必要ない出費、浪費、子どもの保育園、教育費には特に敏感に。

かつ自分だけでなくパートナーの収入もしっかりさせられるよう気を配る。

そうしていくことで、年収が500、600、700万と上がって言っても、300〜400万でなんとか生活できるようにコンパクトにしておけば、

死にはしないわけです。詰まれない、家族離散にはならない。

ようはどちらを取るにせよあまりなんも考えないでいると、NGってことです。

昔は国の方針に乗っかって行けば、なんも考えなくてもゆりかごから墓場まで面倒見てくれることがある程度約束されたわけですけど。

もう今の時代それが崩壊してしまっているので、自分で考えながら生活しないとだめです。

現に昔国が考慮しなかった超高齢化社会になってきた現代は保育園(ゆりかご直後)→介護(墓場の手前)が

けっこう問題になっていることからも顕著だと思います。

みんな間違えないで、ブラックの半分は上司でできているからね

一部の人が会社が信用できるできないとか会社がブラックだホワイトだとか言ってるけど、

はっきり言ってブラック職場の半分くらいは上司でできているからね。

もしくはさらにその上の上司とか役員とか。会社自体は時に黒で時に白みたいなことの方がおおいんでないか?と30代のおじさんは思う。

会社=ブラックorホワイトを言うのが20代に多いような気がしているのは私だけ?

40代くらいならリストラ最前線でわかると思うけど、

会社がリストラしたいかな〜って思ってる時に、この人どうぞってラストパス送るのは

会社ではなく、上司を含めた事業部の上層部ですわよ。

人事がいきなりこの人って選定してくるパターンは外資ではあるかもだけど、

日経企業で管理職以上が切られにくいのは、マネジメント層が談合して下を切っているから。

もちろんかれらも会社側からなんか言われているかもだけど。

もちろん課長クラスより上でしか談合やんないケースもあるでしょうけどね。